内容紹介
在日コリアンへの差別や偏見は日本社会に根強く残っている。そうした状況下でトラウマや心理的葛藤を抱えてきた彼/彼女らの心のケアは軽んじられてきた。その問題を歴史‐社会‐個人の3つを軸に心理士でもある著者が自らの心理療法の経験を通じて考える。
版元コメント
はじめに――本書の背景にある問題意識
(…前略…)
以下、見取り図として本書の構成を示す。まず、第Ⅰ部は本書において特殊な内容になっている。というのも、本書は博士論文を加筆修正したものであるが、第Ⅰ部は博士論文とは別に、全ての章を書き終わったのちに、改めて当事者・実践者・研究者としての筆者の経験をまとめて記した、短い自伝のようなものになっているからである。そのため、研究論文として書かれた第Ⅱ部に対し、第Ⅰ部は非常に個人的で、感情の伴った文章が掲載された異質なパートである。第Ⅰ部を飛ばして読んでいただいても、研究書としての本書の理解には差し支えない。一方、本書のテーマや問題意識の背後にある筆者の考え方やその土台となった経験について知りたい方、当事者・実践者・研究者という複数の交差的な立場に対し、筆者がどのような関係を結んでいるのか興味を持ってくださった方は、第Ⅰ部を読んでいただければありがたい。
第Ⅱ部第1章では、在日コリアンの心理社会的支援を行う際に留意すべき三つの視座について、その理論的枠組みを提示する。ここで、三つの視座とは「歴史的背景」、「社会的状況」、そして歴史や社会とは一見なんの関係もないように見えるものも含めた「個人の物語」を指している。筆者は、これまでの臨床実践を通して、在日コリアンの心理的苦悩の背景には、この三つの要素が互いに複雑に絡まり合いながら生じていることを感じてきた。在日コリアンの心理的苦悩を取り扱うためにはこの三つの全てが収められる場、検討できるテーブルが必要であることを主張したい。
第2章では、なぜ在日コリアンに関する臨床心理学的研究および実践がはざまの空白地帯となってきたかを紐解いていく。在日コリアンと日本における精神医療や心理支援との関係、臨床心理学的問題と在日コリアンにおけるこれまでの民族運動との関係について知りたい方は、第2章を読まれたい。
第3章では、在日コリアンのためのサポートグループ「それが一人のためだとしても」における実践を取り上げる。二〇一一~二〇一六年に京都市において開催されたこのグループは、在日コリアンの個人的な悩みに焦点を当てた活動を展開していた点で、それまでの在日コリアンの民族運動にはなかった視座を提供する。グループに参加していた在日コリアンの語りの分析から見えてくるのは、歴史的背景や社会的状況と個人の小さな物語が統合されていくプロセスであり、それによって生じる新たなセルフイメージが持つ可能性である。ここでは、筆者のオリジナルのモデルである「歴史的トラウマと日常を結ぶ認知行動モデル」も提示する。
第4章では、現代の在日コリアン青年の日常的な被差別体験をマイクロアグレッション実態調査から描き出す。この章を読んでいただくと、現在を生きる在日コリアンの置かれている日常の心象風景の一端を理解していただけるのではないかと期待する。そして、日本人とは異なる心理社会的困難を在日コリアンが日常的に抱えていることをご理解いただけると思う。
第5章と第6章では、在日コリアンカウンセリング&コミュニティセンター(ZAC)の活動内容を取り上げる。
本書全体を通して、在日コリアンを始めとした社会的なマイノリティと日本における臨床心理学的実践との関係や今後の可能性が見えてくることを期待しているが、在日コリアンに対する心理臨床の実際について特に興味を持たれている方は、まずこの第5章および第6章から読まれたい。第5章・第6章では、ZACにおける実践をもとに在日コリアンの心理臨床の特徴や留意点が述べられている他、面接事例を二つ詳しく取り上げている。そのため、在日コリアンの悩みや、それに対する心理臨床の進め方について、その具体的内実が理解しやすいのではないかと思う。
第7章では、在日コリアンのための心理社会的支援を改めて社会の中で位置付ける。ポジショナリティや社会正義と心理社会的支援との関係について考えたい方は、第7章を読んでいただければと思う。そこでは、マジョリティ特権の概念や差別への日常的介入戦略(microintervention strategies)(Sue ほか 2021)といったものから、臨床実践や今後の対人援助職に求められることを考察している。
第8章では本論で得られた知見について、筆者オリジナルの「光と影のモデル」からまとめている。そして、改めて在日コリアンの心理社会的支援において歴史的背景、社会的状況、個人の物語の三者全てが取り扱われることの重要性とそれらの間にある緊張関係について述べる。
(…後略…)
目次を表示
はじめに――本書の背景にある問題意識
第Ⅰ部 私自身について――当事者、実践者、研究者として
当事者、実践者、研究者であること
社会がよくなれば、権利を獲得すれば、人は幸福に……なれる?
実存的契機となった育ち直しの経験
韓国での生活――当事者から実践者への架け橋
日本社会に着地する契機――そして、研究者へ
まとめ
第Ⅱ部 本論
第1章 在日コリアンとメンタルヘルス
1 植民地支配の歴史とメンタルヘルス――歴史的トラウマからの考察
1・1 歴史的トラウマとは
1・2 歴史的トラウマを「公共の物語」として捉える視点
1・3 在日コリアンと歴史的トラウマ
1・4 歴史的トラウマとメンタルヘルス
2 差別とメンタルヘルス――人種差別がメンタルヘルスにもたらす影響
2・1 人種差別やマイクロアグレッションがメンタルヘルスに与える有害な影響
2・2 在日コリアンに対する差別の現状
3 歴史的社会的背景が在日コリアンのメンタルヘルスに与える影響
4 「私」の物語の重要性――複雑な日常の実態に光を当てる
4・1 「表現することの危機」①――属性がもたらす複層的な制約
4・2 「表現することの危機」②――綺麗な物語には収まらない自己について、人はいかに語るのか
4・3 ナラティヴ・アプローチ(物語論的アプローチ)について
4・4 ナラティヴ・アプローチから考える在日コリアン個人の物語
5 まとめ
第2章 在日コリアンに対する心理社会的支援のこれまで
1 日本の精神医学分野と在日コリアン
2 日本の心理学分野と在日コリアン
3 日本の臨床心理学分野では在日コリアンはどのように「扱われてこなかったのか」
4 在日コリアンコミュニティおよび近接領域と臨床心理学的問題との関係
4・1 在日コリアンの運動と臨床心理学
4・2 臨床心理学の近接領域における在日コリアン研究
5 まとめ
第3章 在日コリアンのメンタルヘルスに関わる取り組み――「免責」と「引責」のプロセスとそれを可能にする場の特徴
1 サポートグループ「それが一人のためだとしても」とは
2 「してもの会」の活動の変遷
3 「してもの会」の構造と参加者の特徴
4 在日コリアンと当事者研究
4・1 べてるの家の当事者研究とはなにか――当事者が「苦労の主人公」になるという視点
4・2 当事者研究の理念や方法
4・3 在日コリアンにおいて当事者研究が用いられることの意味――「私」の内実を言語化するために
5 在日コリアン参加者の歴史‐社会‐個人が統合されていくプロセス
5・1 「してもの会」における在日コリアンの体験のプロセス
5・2 歴史的トラウマと日常を結ぶ認知行動モデル
6 在日コリアンのための心理社会的支援に必要な場の特性
6・1 安全な場所であること、個々人のリアリティを共有すること
6・2 マジョリティにおける体験的学びの重要性
6・3 「してもの会」の文化
7 まとめ――在日コリアンに対する心理社会的支援を「免責」と「引責」の観点から考察する
7・1 責任の意識化――フランクルの実存分析という思想的背景
7・2 在日コリアンにおいて「免責」と「引責」が持つ意味
第4章 心理化されやすい日常の被差別体験を可視化する――在日コリアン青年へのマイクロアグレッション実態調査より
1 マイクロアグレッション概念が在日コリアンの差別研究に持つ意味
2 マイクロアグレッションの三分類とマクロアグレッション
3 調査方法
3・1 調査協力者
3・2 調査手続き
3・3 分析
3・4 倫理的配慮
4 調査結果
4・1 日常的な侮辱
4・2 日常的な見下し
4・3 日常的な無価値化
4・4 マイクロアグレッションに対する反応
4・5 マイクロアグレッションに対する対処
4・6 現在役立っているもの
5 考察
5・1 心理化されやすい日常の被差別体験をマイクロアグレッションというフレームから捉え直す
5・2 マイクロアグレッションに対する対応の模索
5・3 マイクロアグレッション概念が在日コリアンに対する心理社会的支援にもたらす意義
5・4 本調査の課題およびマイクロアグレッション概念に対する批判
第5章 在日コリアンのための心理社会的支援の現場――ZACについて
1 ZACの構造
2 相談の実際
3 主訴(困りごと)に見られる特徴
3・1 家族関係に関する悩みの特徴
3・2 対人関係に関する悩みの特徴
3・3 在日コリアンコミュニティにおける悩みの特徴
3・4 差別やマイクロアグレッションに関する悩みの特徴
4 ZACにおける臨床的な対応の流れとその特徴
4・1 インテーク面接(初回面接)
4・2 アセスメント①――全体的なアセスメント/ヒアリング
4・3 アセスメント②――主訴に関するアセスメントと問題の同定
4・4 介入①――カウンセリングにおける目標の設定
4・5 介入②――具体的な手段・技法の選択と実践
4・6 介入③――効果の検証からフォローアップまで
第6章 「免責」と「引責」が交差する場としての心理臨床――ZACの実践
1 事例① ジェンダーとインターセクショナリティの視座から
カウンセリングの開始――主訴の聴き取りとアセスメントの開始、医療との連携
前期――アセスメント①(ヒアリング)と支持的心理療法
中期――認知行動療法を活用した日常生活におけるQOLの向上
終結期――維持と般化、振り返りとフォローアップ
2 事例② 男性性、民族差別、加害・被害の関係から
カウンセリングの開始――主訴の聴き取りとアセスメントの開始
前期――認知行動療法を用いた怒りへの対応
中期――怒りに対する様々な語り
現在――環境調整と助けを求めるための試み
3 考察:歴史ー社会ー個人のつながりの中で「主訴」を捉え返す
3・1 主訴を歴史的社会的背景の中で捉え直す
3・2 歴史的トラウマと日常を結ぶ認知行動モデルの活用――個人の物語のディテールに立脚する
3・3 ZACにおける認知行動療法とナラティヴ・アプローチとの関係
3・4 ジェンダーとインターセクショナリティ
3・5 在日コリアンの家族理解
3・6 在日コリアン個々人が「自由に語ることができる環境」をいかに整えるか
3・7 まとめと今後の課題
第7章 社会の中で心理社会的支援を位置づける
1 マジョリティ特権と心理社会的支援との関係
1・1 歴史や社会を「考慮しない」ことが支援現場にもたらす問題
1・2 マジョリティの特権と心理社会的支援との関係
1・3 まとめ――在日コリアンの心理社会的支援に携わる日本人に求められること
2 心理社会的支援が社会において持つ意味――差別への日常的介入戦略を参照枠として
2・1 差別への日常的介入戦略(microintervention strategies)とはなにか
2・2 在日コリアンのための様々な活動を、差別への日常的介入戦略の枠組みの中で捉える
2・3 まとめ
第8章 在日コリアンの心理社会的支援に求められるものとその可能性
1 光と影のモデル――生態学的モデルへの補助線
2 本書で得られた知見
3 本書の意義と残された課題、他のマイノリティへの応用可能性
おわりに
謝辞
参考文献
索引