登録日:2026/7/15
ナラティヴ逃走論 : セラピーという社会政治的実践
- 著者
- 出版社
- 金剛出版
- 発売日
- 2026/9/8
- ISBN
- 9784772422055
- ASIN
- 4772422056
- 概要・目次
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補足情報
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- タイトル読み
- ナラティヴトウソウロン
- 著者読み
- アダチ エイコ
- 形態情報
- 160p
- 価格情報
- 3,400円(税区分不明)
- 資料種別
- 図書
要約・抄録・解説
「悲観的な自己の物語をより肯定的で適応的なものに書き換えることを通して自己理解を深め、問題を解決する心理療法」――ナラティヴ・セラピーは、自己の言説の引力圏でしばしばそのように理解されてきた。しかしそれは出発点を見失わせる誤読でもある。「人の内側に、表面には現れないその下に、本当の自己や本質がある」という近代的・心理学的前提の問い直しを自らに課し歩み始めたナラティヴ・セラピーは、「内面の物語」に問題を見出す心理療法の営みを必然的に逸脱していくのだから。「物語」は人を励ますだけでなく、縛り、序列化し、管理する。ナラティヴ・セラピーとはなによりも、権力の場でもあるその物語から逃れ、くぐり抜け、別様に語りうる可能性を切り開く実践として構想された。現実もアイデンティティも語り(ナラティヴ)の遂行を通して生成し変容する。そうであれば、「再著述」や「語り直し」も現実を別の見方で解釈することではありえず、異なる語りによって異なる現実を立ち上げ、その「みたことのない風景」に移動する「行為」となる。それは「自己の物語とその修正としての心理療法」のなめらかな語りが支配する世界の脱構築の企てであり、そのような世界に向けて、「語る行為」と「物語」の差異と余白を保存しながら、その生成に参与し続ける社会政治的介入である。マイケル・ホワイトが参照し続けたフーコーの権力論とデリダの余白論にバトラーのパフォーマティヴィティ論を再接続しつつ、社会政治的文脈(socio political context)のなかで生じ、支配的ストーリーによって維持される人々の困難を多声と認証を通じて協働的に/厚く記述し続ける試みとしてナラティヴ・セラピーを再著述する。
目次を表示
目次 序「物語」を逃れて「語ること」の方へ―政治的詩学としてのナラティヴ・セラピー Ⅰナラティヴ・パースペクティヴ 第一章ナラティヴ・セラピー―多声と認証に向かう臨床実践 第二章見たことのない風景―社会構成主義・遂行・ナラティヴ Ⅱナラティヴ・プラクティス 第三章あばれ鬼―表層 第四章自画像―認証 第五章デイルーム―共鳴 第六章三和土―多声 Ⅲナラティヴ・リフレクションズ 第七章関係という文脈から関係をめぐる文脈へ―家族臨床におけるナラティヴ倫理 第八章エージェンシーは運ぶ―ナラティヴ・セラピーの空白としてのジュディス・バトラー 第九章社会政治的実践―ナラティヴ・セラピーとソーシャルワーク あとがき
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