内容紹介
ウィニコットの心理臨床論を解き明かしながら、著者本人の臨床家としての軌跡を総括する意欲的な試み。発達障がいの問題を「関係性」の観点から捉え直すなど独自の新しい考察を披露するとともに、ほどよい関係性に基づく豊かな生き方を探求する。
版元コメント
刊行によせて(大阪市立大学名誉教授・倉戸ヨシヤ)
この著作は、川上範夫先生が四〇年にわたって取り組んできた、いわばウィニコット論である。それはまるでウィニコットの心が著者の川上先生にのり移ったのか、したがって川上先生が虜にされてしまったのか、とにかく読む者に半端ではないスピリチュアルな感動を喚び起こさずにはいられない内容になっている。
全部で6章からなっているが、各章のそこかしこを貫いているものはウィニコットの「ほどよい関係性」である。しかし、それは単なる解説書や紹介本のそれではなく、心理臨床実践家としての川上先生の息吹や心意気の軌跡が先生の心理臨床例とともに刻まれている。
ウィニコットと先生の出会いが「はじめに」のところに書かれてある。学会会場の図書コーナーでウィニコットの著作に触れ、イリュージョン、トランジショナル、ディスイリュージョン、ファーストポゼッション、リンボなどの概念とともにウィニコットの臨床センスに衝撃を受けて、自分の実践も生き生きと進められるのではないかと直感した、とある。ロジャース、フロイト、クラインと学び進んでいたところでの邂逅で、それ以来四〇年、一途に、「関係性の体験」論を軸に川上先生が理解し実践してきた歩みが開陳されている。
ウィニコット自身は川上先生がその著作に触れるわずか前、一九七一年にこの世を去っていたのであるが、もし、若き日の川上先生がウィニコットに直接会うことができたならばどのようなコミュニケーションを交わしたであろうか、想像するだけでもワクワクする。
川上先生はこうしてウィニコットに傾倒していったのであるが、その傾倒していく心模様をよく示しているところが本書、第2章「臨床家ウィニコットの人となり」にあるので取り出してみたい。
先生はウィニコットの著作を読み込んでいくにつれて「救済」に近いような思いを感じたとある。それは、彼の著書に「表わされた温かさによってではなく、その温かさがにじみでてくるまでに辿ったにちがいない“ほんもの”の人生に触れたような気がしたから」である。そして、「本気でのたうちまわっている人間にとっては、彼の著書は人格的なぶつかり合いとふれあいを体験する臨床実践の『現場』にほかならない」と言い切っている。ここに、「ほんもの」を追い求めてやまなかったウィニコットと苦悶にぶつかり続けてきた川上先生とが重なり合って私に迫ってきて、目頭が潤むのを感じ、しばし読み進めていくことを中断せざるを得なかった。
ウィニコットのそして川上先生の最終的に行きつく世界観はボラスからの引用にある「原初からすべて対象は関係対象である」というところに尽きるように感じられる。ボラス自身がどのような人生を歩んだものか知り得ていないが、とにかく川上先生のこうした世界観の境地は、人生のなかで遭遇してきた悲嘆の経験や偶然の経験のなかに意味を感じ取ったり厳しく意識をしたりしないかぎり、またあるいは、ユングのいう共時性の体験を深く実感したりすることなくしては行きつくはずのない境涯である。
私の大胆なイマジネーションを開陳するならば、「関係対象から始まって意味ある関係性が豊かに広がっていく」とする考えは、地球の成員はあまねくみな約束のきずなのもとにつながり合っているとする究極のエコロジカルな見方に流れこんでいくのではないかと思わされる。
心理臨床へのひたむきな取り組みの記録でありながら、しばし想いは広く、深く、揺蕩うのを覚えさせられる。
今一度、重ねて言うなら、ウィニコットの「ほどよい関係性のこころ」をご自分のなかに宿し育みながら、心理臨床実践に本気で取り組んできた川上先生の生涯をかけての見事な、しかしその背後には、ウィニコット同様に「ほんまもの」を追求してやまなかった魂の凄まじい闘いがうかがえる記録である。いわば、一人の心理臨床家のナマの人生そのものである。
もちろん同時に、ウィニコットの魅力をいかんなく伝えている書としても価値のある一冊である。ご自分で本著に目を通し、かつ珠玉のフレーズに直に触れていただくことをお勧めしたい。
心理臨床の力量を高めたいと必死に求めてやまない人へ、また、広く人間関係の難しさに悩んでいる人へ、そして人生に歩き疲れた人へも、一読なさることを心よりお薦めできる著作である。
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刊行によせて
まえがき
第1章 私とカウンセリング
1 「なおる」ことと「生きる」こと
2 「遊び」を「あそべない」子どもたち
3 母親の子どもに対する「ほどよい(good enough)」関わり
4 ほどよく葬り去られた世界と「意味」の世界
5 家庭内暴力をやめさせる「非常識」な方法
6 ひたすら会い続けることの大切さ
第2章 臨床家ウィニコットの人となり
1 私が思い描いたウィニコット像
2 温かさの裏側にある妥協のない厳格さ
3 ウィニコットの実践的臨床感覚
4 移行対象・移行現象論(Transitional Objects and Transitional Phenomena)
5 illusionとウィニコットの人間関係
6 「一人でいられる能力」と意味ある関係性
7 ほどよい関係性とほどよいholding
8 handling, object presentingと「ほどよい関係性」
9 私はなぜウィニコットの実践論に関心を抱いたのか
10 遊び(play)とあそぶこと(playing)
11 「あそぶこと(playing)」と創造的に生きられるようになること
12 「あそぶこと(playing)」と第三の体験世界
13 「関係性の体験」を心的経験の基軸と考えるウィニコットの心の見方
第3章 「関係性」からみた発達障がい
1 関係性の観点からみた発達障がいの問題
2 発達障がいといわれる子どもとの関わり経験――教室の中のやりとり(1)
3 健康なぶつかり合い――教室の中のやりとり(2)
4 関係性の体験力不足――教室の中のやりとり(3)
5 診断ということが養育者に与える影響
6 「ナマ」で「ライブ」に関わることの重要性
7 意味ある関係体験
第4章 関係体験からみた心理臨床実践論
1 illusionと対象関係
2 関係体験論による基本姿勢(1)――ウィニコットの「原初的な母親の没頭」「ホールディング」から教えられること
3 関係体験論による基本姿勢(2)――ウィニコットの「抱っこ」と「ハンドリング」から教えられること
4 「絶対的依存」という関係性をめぐって(1)
5 「絶対的依存」という関係性をめぐって(2)
6 はじめて自分でないものを所有する体験――「ポゼッション(所有)」ということでウィニコットが伝えたかったこと
7 関係の中の自分感覚体験
8 世界に向かって自分で歩み出すこと――臨床実践のゆくえ
第5章 関係性の心と臨床実践の知恵
1 「関係対象」の考え方と「気配を察することのできる能力」
2 「関係体験」「関係対象経験」の実際を考える
3 「関係体験」の始まりを「対象所有」の観点から考える
4 「いないいないバアあそび」と「環境としての母」「環境としての対象」という考え方
5 「バイバイ」を「あそび」として体験できるようになるための関係性
6 「ヨチヨチ歩き」がちゃんと体験できるための関係性
7 幼児の「情け容赦のない依存的支配」の意味
8 幼児の攻撃的依存の心をほどよく受け止めること
9 関係性の心と感動体験について
第6章 現代家族と現代社会の「関係性」問題
1 家族同士の問題なのに……
2 男女関係の変容――元カノ、元カレ
3 家庭、家族の中のバイオレンス
4 家庭における自然性の喪失――子どもが生まれるということをめぐって
5 高齢者、老齢者を抱える家族の課題
6 家族システムの変化から考える現代家族
7 離婚・再婚に伴う家族間のトラブル
8 関係性から家族と社会の問題について考える
参考文献
あとがき